ウラルサイドカー『全国ウラルマラソン』参加レポート vol.1
2011-4-19 22:22 投稿者:
tyo81037
『天気晴朗なれども気温高るべし(東京〜岡山)』
2008年7月14日午前2時。結局は寝る間も無いまま、岡山にあるサイドカー倶楽部のクラブハウスへ向け東京を出発。
深夜でもあり、もう少し涼しくなるかと思ったが蒸し暑さは昼間と変わらず、高速に乗っても汗をかいた。
今回、私は『ウラルマラソン』という長崎から函館までを一週間で走り抜く長距離ツーリングに参加した。
日程の都合で岡山のクラブハウスから山形の鶴岡までしか参加出来なかったが、
往路の東京から岡山までの移動と帰路の鶴岡から東京への移動を含めれば、
それでも4日で2300km以上を走り抜けねばならなかった。
ご存知の方もいると思うが、ウラルは外見だけではなく設計も構造も性能も1950年代のものだ。
機関にはオイルクーラーなどは無く風が頼りの空冷で、構成パーツも低回転向きだ。
最も苦手とする真夏に長距離を走る事はタブー視すらされていた。
私が一見無謀とも思われるツーリングに参加したのは、
それまでウラルに向けられていた負の先入観や観念を自らの完走を以って払拭したかったからだ。
午前4時。第一給油地の東名高速富士川SAに到着。
この時点では夜も明けきらず辺りは真っ暗。
風も無く相変わらずの蒸し暑さ。暫し休息の後給油を済ませ出発。
静岡を過ぎた頃には夜も明け、微かにモヤった浜名湖も見渡す事が出来た。
時速は概ね80kmを維持。
豊田JCTも間近になって来た頃、路面の窪みでバウンドし、衝撃でシールドのクランプ部分が破断。
シールドを左手でゆすってみるが走行に支障はないので、そのままに。
豊田JCTからは伊勢湾岸道路に乗り換え、午前6時40分頃第二給油地の刈谷SAに到着。
中京の物流拠点が近いせいか大型トラックが沢山出入りしている。
この時間には既に日も高くジリジリと気温が上がってくる。
普段から冷房生活にどっぷり漬かっている私は既に汗だく状態。
事前の情報では、四日市JCT周辺は通勤時間帯になると渋滞するとの事だったが、特にそのような事も無く亀山JCTに。
ここから新名神高速へ乗り換えだ。
まだ、舗装も真新しく走っているクルマも殆どいない。
前後にクルマが見えないとペースの維持も難しくなる。
80km/hを維持しているつもりが、ついついペースが上がっていた。
草津JCTで再び名神高速に戻ると、京都、大阪は思ったより早く通過したように感じた。
気が付けば、案内標識には吹田JCTの文字。これより中国自動車道に入る。
午前9時40分頃、西宮名塩SAに到着。
津山に向けた最後の給油地だ。
誘導路を通り駐車スペースを探していると、1台のウラルを発見。
そのモスグリーンの車体には見覚えがある。
同じく岡山のクラブハウスに向う倶楽部仲間GSのサイドカーだ。
早速、隣のスペースに止め辺りを見回したが当のご本人は見付らず。
取り敢えずクラブハウスに先着しているSさんに連絡を入れ現在位置を報告。
クラブハウスの所在地を知っているGSの車両を先導にして来てはどうかとの助言を頂いたので、もう暫く駐車場で待ったものの誰も来ない。
給油する都合もあり、一足先に出発する事にした。
…しかし、暑い。大阪辺りからかなりの暑さになってたが、西に向うにつれ肌が熱るように暑さが増す。
そんな暑さのためか、最後の135kmが凄く遠く感じた。
西宮で緊張感が途切れてしまったのか、何となく間延びした感覚で走っていると空腹感が襲ってきた。
当初は岡山に着いてから食事なり休息なり摂れば良いと思っていたがどうしても空腹に耐えられず、最寄の加西PAに駆け込んだ。
日陰になった二輪車スペースに側車を止めると、目に入った『コロッケ』の文字に引き寄せられるように売店へ。
早速その味自慢と書かれたコロッケとミンチ(メンチ)を2つずつ買い、木陰になっているベンチでほおばった。
取り急ぎ、岡山までの繋ぎで腹持ちさせれば良いと思ったのだが…、これが不味い!
ナンボ売店のコロッケとは言え、これは酷い。
半ば憮然としながら食べているところに、先ほどのGSの側車が到着。
運転はGS本人ではなくご主人のHMだった。
偶然にも再度ランデブーが出来たので、HM氏に先導をお願いしてクラブハウスへ。
HM氏運転の側車は、私と同じサイドカーでも一世代前の650ccモデル。
しかし、これが速い。
間延びした面持ちでついて行くと引き離されそうになる。
「さすが、歴戦のウラルは100km/h巡航が普通なのか…」なんて感心していると、以外にも早く津山ICに到着。
料金所を出て、R53を左折した先にあるホームセンター『なんば』の駐車場で一旦停止。
HM氏が食材の買出し等のためクルマで別働中のGS一行に連絡を入れたところ、これから昼食との事。
そのまま駐車場で待ち合わせとなった。
この辺りからクラブハウスまでは直ぐの距離。
でも、ナンなのよこの暑さは?東京が猛暑でも経験した事の無い、焼かれるような暑さ。
それでも痩身のHM氏はSWATのような服装のまま飄々と涼しげな感じ。
うーん、関西人は暑さにも強いのか…。
この時はもう眠気も疲れも無く、ただ暑さだけを何とかして欲しかったのだった。
無意識のうちに、目の前にあったサーティ・ワンのアイスを一つ…。
GSとHM氏のお兄さんAN氏一行と合流。
ラーメン屋でチャーシュー麺の大盛りを頂き、クラブハウスへ。
途中、道沿いに吉井川と言う清流が流れていたが、あまりにも清涼な流れに見えたのでサイドカーもろとも飛び込みたくなった。
午後2時前、クラブハウスに到着。
『どにぺれ倶楽部』快調(=会長)と四国から先行していたSさんが出迎えて下さった。
取り敢えず、サイドカーを駐車スペースに置き、クラブハウスにお邪魔しました。
メインのゲストハウスは綺麗なログハウス。
集会場と言うかホールと言うか、皆が一堂に会する所は、外壁が白いことからホワイトハウスと呼んでいるコンテナを利用して建てられたスペース。
ここは大きく分けてメインホールと居住スペースとに分かれていて、かなりの人数を収容出来る。
私がお邪魔するとSさんのご子息が冷たいお茶を出して下さりホッとしたものの、身体に熱がこもってしまい汗が引かず、
その後も冷たいお茶と水とを繰り返し飲んでも落ち着けなかった。結局大したお手伝いも出来ず、夕方まで喘いでいる始末。
その間にも、GSと快調の奥様はテキパキと料理の仕込を進めていた。
GSの料理の腕前はクラブのサイトで知っていたが、その段取りの良さは特筆ものだ。
ご主人のHM氏やAN氏、Sさんのご子息と手分けしながらどんどん進めて行く。
それを横目に私は扇子片手に喘いでるだけ…。快調や奥様からは、シャワーを浴びるなり、夕方まで寝室で休むなり勧めて下さるが、それもままならなかった。
そんな間にも、地元のメンバーの方々が到着する。
午後3時頃の情報では、マラソン本隊は四国から瀬戸内海を渡っている最中とか。
地元のメンバーの方が四国まで出向いて一行をクラブハウスまで誘導しているので迷う心配は無いと言っても、到着まではまだ時間が掛かりそうだった…。
つづく…
本日の走行距離、約650km。