ウラルサイドカー『全国ウラルマラソン』参加レポート vol.3
2011-4-23 23:26 投稿者:
tyo81037
『津山〜神戸〜福井編』
7月15日。蒸し暑さで目が覚めたのは午前5時前。
もう少し寝ようか逡巡しましたが、短時間熟睡型と言う事もあり特に眠くもなく、そのまま起きて辺りを散策して来る事にした。
本当は、出発前の試運転でもして来たかったのだが、私のサイドカーの前にはサポートカーが止まっていて出せず諦めました。
外へ出てみると、まるで盆地のように湿ってよどんだ空気が溜まっていた。
昨晩の夕立がそのまま湿気になって留まっているようだった。
止めてある車両にも、雨と夜露の水滴がびっしり。
衣類は側車に積んだままにしておいたので、車の陰で乗車用の服装に着替え、外の水道で洗面を済ませ身支度完了。
あとは暫し近所をプラプラと散策。せっかく身支度を整えても、出発前には既に汗だく…。
6時を過ぎた頃か6時半頃だったのか、一人二人と起きて来たメンバーが外に姿を現す。
先ずは一服タイム。
暫くして、快調の奥様とSさん親子も表に出て来た。
今日は一挙に男手が無くなり、後片付けは奥様とお嬢さんだけの仕事になってしまうため、
事前に大きな物の始末を付けておこうと、外に張ったテントやBBQセット、椅子などを撤収。
ゴミもログハウスの裏で焼却することにした。
その間にロシア人グループも起きだして来て慌ただしく身支度を始める。
取り敢えず外の撤収作業を終えた私たちは朝食を頂く事に。
GSお手製のパンを美味しく頂き、奥様の作ったチラシ寿司を3回おかわりし満腹。
食後はアイスコーヒーを頂きながら、寝床の撤収。
丁度その頃、市内に宿泊していたGS曹一行が到着。
身支度を整えるGSの髪を三つ編みしている奥様が、娘の髪を結う母親のようだった。
外では、KDさんが試運転中。
独特の迷彩が施されたこの歴戦のサイドカーは非常に良い音を響かせていて調子が良さそう。
私の750ccタイプよりこの650ccタイプの方が断然オートバイらしい良い音を出す。
KDさんは当初、津山から先の行程まで参加する予定だったが、電装系に問題があって断念。
津山ICの手前で帰宅なさるとの事で残念…。
午前8時半過ぎ、漸く出発準備に取り掛かり始めた。
取り敢えずサポート車を移動してもらい、私のサイドカーを外に出す。
皆の出発準備が整ったところで出発前の記念撮影。
午前9時。
サポート車を先頭にウラル・ジャパンのサイドカー2台と、快調、GS、KDさん、Sさん、私、古参メンバーのNWさんが続く。
私自身はそれまで複数のウラルと走った経験が無かったのでなかなか壮観!
ゆっくりと川沿いの道を進み、R53へ。
ここで私の車両に異変発生。
本車フロント左ウィンカーが、ステイの根元より折れてぶら下がっている。
偶然にも、昨晩KDさんとNWさんとでこのウィンカーの事を話していたばかりだった。
「ここって折れやすいんだよね…」なんて。
そのウィンカーが、翌朝折れていた。
まぁ、マラソン参加中はテープで固縛しておけば走行には支障ないので給油の際にでも、テープを巻こうと思っていた。
R53を右折して直ぐの所で給油。
給油後は隣の駐車スペースでウィンカーの応急処置。
東京を出る前日、たまたまテープを下ろして来てしまったので、サポート車からテープを借りようとしたところ、ロシア人スタッフから「針金で固定しよう」との提案。
GS一行が針金を持参していたので、それを分けてもらい何とか修理完了。
さすが、歴戦のGS一行。
補修部品の携行には抜け目が無かった。
また、手際良く応急処置をしてくれたロシア人スタッフ共々感謝である。
暫しの作業の後出発準備完了となり、津山ICから本日の訪問地神戸に向けて出発。
走行序列は先ほどの通り。但し、IC手前でKDさんが帰宅。
巡航速度は概ね80km/h。
それでも走行中は行軍長径が伸びたり縮んだりするので、その間にトラックが間に入ったり抜かしたり。
面白かったのはGS車。
最初は快調の後ろにいたのに、途中から追い越し車線をキューンと加速して前方のロシア車の後ろに。速い速い。
そんな事をしながら、途中の加西SAに到着、休憩。
私が津山に来る途中、不味いコロッケを食べた所(反対車線)だ。
ここで大阪のメンバーSKが合流。
ここでまた関西の猛暑にも遭遇。
ボトルホルダーの飲み物はお湯状態。
再びサイドカー8台となり、出発。
西宮山口JCTから阪神高速へ。
ここで前方を走っていたロシア車の1台が遅れだし後方へ下がって行く。
我々は少し先の路肩で待っていたところ、暫くしてロシア車が追い付いて来た。
しかし、復帰した筈のロシア車が再度ストップ。
丁度、神戸付近でで帰宅なさる予定だったNWさんは、そのまま最寄のICを降り、万一に備えて待機していて下さった。
一方で、肝心のサポート車はナビに誘導されて先頭を走っており、通訳のオレーシャさんも同乗しているので故障車のスタッフとコミュニケーションがとれない始末。
路肩に車列を敷いて30分近く。
ベテラン・メンバーが中心となって原因の特定を急いでいたが、最後に到達した結論は…ガス欠。
その旨を携帯電話でサポートカーに伝えると、そんな事は有り得ないとの返答。
どんな自信だ…。
早速、GS一行のパジェロに積んであった予備燃料を給油。
案の定、直ぐに始動…。
しかし、この車両を運転していた若いロシア人スタッフは、終始タバコを咥えっ放し。
そのまま燃料系統のチェックをしていたのには驚かされた。
漸くのことで走行再開。
彼のロシア車は何事も無かったかのように走って行く。
そして、暫く走った時もう一台のロシア車がガス欠に。
しかも、日本法人の社長が乗ってるやつ。
彼らはどうやら給油タイミングの管理をしていない様子。
新型モデルへの自信は解るが、ガスが無ければ動きませんわな…。
今度は原因も明白だったので対処も早く、最小限の時間ロスで応急処置完了。
気分を新たにして神戸市内へ。
午後1時過ぎ。茹だるような暑さの中、最初の訪問先ロシア正教神戸ハリストス正教会に到着。
教会の入り口では信徒の方々が暖かく出迎えて下さったが、信心の欠片も無い私のような者にとっては、何となく場違いな感じが…。
私など東京の者にとってロシア正教と聞くと、先ず御茶ノ水のニコライ堂をイメージしてしまうのだが…。
招き入れられるまま教会内に入ると、ロシア式礼拝。
その後は予定に無かった昼食の接待を受けることに。
暫し歓談の後、司祭より旅の無事を祈る言葉を頂き、教会を後にした。
三宮駅前の繁華街を通り、灘区にある第二の訪問先、神戸ガレージBOSSへ到着したのは、午後3時近く。
ガレージ2階の車両を見学。
しかし、ここでは奇妙な事に地元公安の接触を受ける事になった。
ガレージから道路を挟んだ向かいにあるコンビにの広い駐車場に止められたクルマから監視を受け、
更に1人の公安が我々の車両の写真を撮ろうと近付いて来たものの、快調が外へ出て行くと引き返して行った。
まぁ、迷彩のサイドカーに乗ったロシア人がロシア国旗を立てて街中を走ってるのから、何かと誤解を受けても仕方あるまい…。
尤も、当の本人たちがこれに気付いていたのかどうかは知る由もないが…。
午後4時過ぎ。
ガレージBOSSを後に、今晩の逗留先である福井へ出発。
移動距離は約300km。
実はここで、Sさん親子とはお別れ。
また、GS一行、そしてSKもこの後の名神高速の途中でお別れ。
ウラル・ジャパン一行に同行するのは快調と私のみになった。
カーナビで予告される到着予定時刻を聞いてスケジュールに余裕が無くなったのか、
高速に乗ると先頭のサポート車はどんどんスピードを上げて行く。追い越し車線に入って何台もクルマを越して行くので、
ロシア側のサイドカーも含め、後続の我々は少々遅れ気味。
隙間に何台ものクルマが入ってくるので2台ずつ分断されたような感じ。
気が付くと、後ろを走っていたGS一行を見失った。
遅れたのかと思っていたが、後で聞いたところGSのサイドカーにトラブルが発生し、立ち往生をしていたとの事。
我々は挨拶も出来ずそのまま先行してしまった。
名神高速に入ってからもペースは変わらず、概ね100km/h以上で走っている。
サポートカーにとっては寧ろ遅いくらいなのだろうが、ウラルにとってみれば、この速度で巡航するのは結構難儀。
私の前を走る快調車も頑張って飛ばしているが、いま一つ吹き上がりが悪いようで、
緩やかな坂や追い越しで思うように加速が出来ない。
徐々に米原が近付いて来た頃、殿軍を務めてくれていたSKのサイドカーが追い越し斜線を加速して前方に出て行く。
そろそろ、お別れの場所が近付いたようだ。
暫く行くと、出口の分岐に停車したSKが手を振って別れを告げていた。
今朝、あれだけ賑やかに出発したのに、この先福井まではサイドカーは4台だけ。
しかも日本人参加者は快調と私だけになってしまいました。
午後6時頃、北陸道の敦賀手前のSAで休憩と給油。
黄昏た景色をバックに、暫し快調とクラブの今後についてしんみりお話タイム。
給油を済ませ、再び本線に。
福井までは1時間ちょっと。
敦賀市辺りで日没。
これから先は常夜灯が無いので車両の灯火だけだ。
やっぱり暗いなぁと思っていたら、サングラスをメガネに換えるのを忘れていた。
こうなると、前方にはテールランプの赤い点しか見えない。
まぁ、慣れてることなのでそのまま飛ばす。
敦賀を過ぎて、山間に来ると今までの暑さが嘘のように涼しくなりってきた。
暫く走っていると、前の快調車が時々大きく右へ流れながら走るようになった。
休憩の際、後輪の具合が良くないとの話だったが、その影響だったのか…。
追い越し車線を後方から大型トラックが迫って来た時吸い寄せられるように快調車が右に流れ、
トラックは慌ててこれを避けるように大きく蛇行して走り過ぎて行ったが、後ろで見ていた私は一瞬冷や汗をかいた。
長かった高速走行も終わり、福井北?の出口を出て一般道に。
今晩はキャンプ場で宿泊予定。
ロシア風魚のスープや焼肉体験なんて書いてあったけど、これから準備するのかと思うと、ちょっと心配。
そもそも、今何時よ?
どこを走っているのか見当もつかず、ひたすら前を走る快調車のテースランプを追って走るのみ。
周囲が真っ暗なのを見ても、市街地でないことは明らか。
どこの川なのか、大きな鉄橋を渡り左折すると道沿いに防潮堤、そして大型漁船が並んでいるのが見えてきた。
漁港かな、と思っていると車列は停止。
突然「もう遅いので、今晩はここに泊まります」と、オレーシャさんの説明。
何なのかと思ってると、『日露貿易振興 有限責任 事業組合』と大きく書かれた建物。
外にはショートパンツだけのロシア人と思しき数名の男たち。
申し訳ないけど、凄〜く胡散臭い雰囲気。
後で伺ったら、快調も同じ感想だったとか。
車両を防潮堤際のスペースに止め、貴重品と着替えのバッグを持って建物に入る。
よく見れば、元々漁業関係の建物だったような造りで、しかし、何故か畳みの大部屋がいくつもあって、何かの寮のようにも思えた。
外にいたロシア人たちはここで寝起きをしているそうで、ロシア向けの中古日本車の売買に従事している人たちとの事。
そして、ここがウラル・ジャパンの元となった事業会社である事も判った。
我々一行が宿泊するのは、最上階の十畳間と六畳間に仕切られた大部屋。
ここに布団を敷き詰めて雑魚寝。
まるで部活の合宿だ。
シャワーを済ませたら食事にすると言うことで、快調と交代で荷物番をしつつシャワーを浴びて来たが、
脱衣場と言うのが無く、その場で脱いで入れと言う感じ。
外の通りからは丸見え。
まぁ、普段からパンツだけで生活してる人たちにとっては特に問題無いんだろうが…。
取り敢えずシャワーを済ませると、皆で屋上へ出て食事。
プログラムに書いてあった、ロシア風魚のスープが食卓に。
これをロシア風と名付ける根拠は何なのか聞いてみたいような気もしたが、グッと笑いを堪えて我慢。
何だかもっともらしい音頭で乾杯の後、このスープを頂いた。
うーん、何とも素材の味が良く生かされたスープに、思わず快調と顔を見合わせてしまいまった。
脚色抜きで表現するならば、魚のアラを茹でたお湯に味を付けたもの…と言うことになるだろうか。
口の中に広がるのは、魚のコクでは無く生臭さ。
これには快調も絶句。
ただ食事はこのスープと食パンしか無かったので、サッサとスープを片付けると、後は食パンをかじって腹の足しに。
しかし、これは急な話で迎える側の準備が間に合わなかった事によるもので、仕方ない事。
取り敢えず食後のお茶を頂きながら、暫しの歓談。
快調がクラブ名の由来を説明。
ロシア側からは、岡山でのGSのもてなしに対する賞賛の声。
日付も変わった頃、ダラダラしながらお開きに。
快調も大分疲れたらしく、先に休もうと言うことで大部屋に戻った。
布団と言っても、マットレスがあるだけで掛け布団は無し。
新品のシーツは宛がってくれたが、箱ごと枕代わりに。
これなら寝袋を持ち込めば良かった…と思ったが後の祭りだった。
電気を消して、寝ようとすると快調が「車検証は手元に持ってますか?」と訊ねてきた。
私はトランクに入れてありますと答えると、「盗難に遭った時に車検証が無いと保険も下りないので、持って来ましょう」との事に。
私のサイドカーにはカバーを掛けてしまっていたので、そのままにしておいたが、快調は車検証を取りに戻って行った。
快調も車検証を手元に置き、これで眠れるかと思ってたら、眠くない連中が足元をウロウロしているので、
眠りに就けたのは午前2時過ぎ頃だったかも知れない…。
本日の移動距離、約430km。